日本最後のロックンロールバンド、その名はチェッカーズ

 長いあいだ、音楽を聴いていると、趣味の合う人と数年に一度会うことがある。そういう人と会うとそれぞれの好みのアーティストなどを共有し、お酒がどんどん進んでいく。
 自分しか評価していないと感じたものを他人も同様に評価することに気づくことは、強烈な親近感を抱くものだ。

 たとえば、私はローリングストーンズが好きだが、たまにストーンズマニアの人たちと語り合うことがある。各年代ごとのアルバムの総評をしたり、また各曲の演奏に関してなどを語り合うが、ストーンズを聴いたことのない人が、このような会話を聞くと、ほとんど外国語にしか聞けないだろう。 

 またこれは音楽だけではなく、ほかの趣味の領域でもそうかもしれない。私は歴史も大好きなのだが、それぞれの歴史好きが集まって、歴史というテーマ、一点に絞って飲み会をしたこともある。そこには社会的な気遣いも何もない。ただ「語りたい」、「知識を吸収したい」という一点のみに全員が向かう。
 今も勿論そうだが、これからもこのような趣味というコンテンツの語り合いは、より一般化されるに違いない。

 チェッカーズというバンド名を知らない人はほぼいないだろう。ジュリアにハートブレイクやギザギザハートの子守歌などは誰しも聞いたことがあるだろう。また、あの前髪を垂らしたチェックのファッションは、1980年代前半を代表するファッションとしてよく当時を回顧するテレビ番組でも見かける。

 しかし彼らの音楽性や演奏テクニック、そしてロックンロールバンドとしての評価などは、ついぞされたことはなかった。
自分が小学校から中学校にかけてのあいだにチェッカーズというバンドは活動していたが、そのファッション性などよりも、その音楽性と演奏に自分は当時から注目していた。

 特に個人的に好きなのは、彼らが作曲を自分達で行い始め、そしてエイトビートの名盤ロックアルバム「GO」から、だんだん16ビートを基調とした中期から解散期頃までの活動、作品が大好きだ。
 しかし、このチェッカーズの音楽的評価は、これまで殆どスポットを当てられることがなかった。ロッキングオンであれ、ミュージックマガジンであれ、彼らを取り上げたことは一度もないだろう。しかし、今もそう思うが、あの当時のバンドであれ程のセンスと実力を兼ね備えたバンドはいない。

 またバンドのストーリーも素晴らしい。
 まさにビートルズを体現しているようなバンドストーリーだ。
 イギリスの港町リバプールで出会った4人の若者が生まれ、不良ファッションから一転、アイドル的な人気で爆発し、その後、音楽性を高め、独自の作品を発表し、そして成熟し、解散する。これがビートルズのストーリーなのだが、チェッカーズのストーリーもほぼ同じだ。イギリスが日本になり、リバプールが久留米になり、4人が7人になっただけだ。
 しかし大きく異なるのは、ビートルズは大きな音楽的評価を得たことに対し、チェッカーズはその音楽的評価が冷遇されてきたことだ。そこがある意味で栄光の光に隠れた影のひとつのような気がする。

 最近、以下のような本が出版された。
 

 解散して約30年、ようやくまともなチェッカーズの音楽批評の本が今年出された。
 執筆者はスージー鈴木氏。80年代の音楽マニアでありながら、きちんとコード進行などの音楽理論を説明できる、とても素晴らしいかただ。ちなみに彼とマキタスポーツの2人で行なっている「カセットテープミュージック」という番組もとても面白い。毎週日曜日が楽しみだ。

 この本のなかで、彼は、彼らの演奏能力や作曲能力を徹底的に分析している。
 また初期のダブルボーカルの録音理由や、曲作りの過程などを知ることができたのは、本当に涎ものである。

 苦節30年、ようやく同じ理解者が生まれたことに非常に感慨深い。またこれを機に、ひとりでも多くのひとが、チェッカーズに触れて欲しいと思う。サブスクで殆どダウンロードできるはずだ。
 ビートが効いて、ベースがグルーヴ感を出し、ギターのカッティングが彩りを与え、コーラスワークが曲を盛り上げ、サックスが情感に訴え、抜群のヴォーカルがトドメを刺す。何もスライ&ファミリーストーンの話をしているわけではない。チェッカーズの話をしているのだ。
  
 ブルーハーツのように、ボウイのように、ルースターズのように、チェッカーズが語られる日が来ることを今日も願ってやまない。