プリンスと曽我部恵一が教えてくれた多作の意義

 20歳前半の頃というのは、これからの自分のキャリアに対して、どこか慎重だったような気がする。これからどのような仕事に就くのか、そしてどのようなステップでキャリアを歩んでいくのか、このあたりをとても深く、そして大事に考えていたような気がする。おそらく大半の人がそうだろう。自分にはまっすぐで綺麗な道が続いていくのだ、と考えることは、ごくまっとうである。

 だが、今や、40歳を超えた自分にとって、ある意味、これから綺麗なキャリアストーリーを歩んでいくことは、不可能である。もはや、何故、今自分がここに立っているのかさえも、わからない。情けない話だが、どこをどうやって今の立ち位置にいるか説明のしようもないのだ。またそんな状態であるため、キャリアを振り返ることもあまり無ければ、次のステップも、慎重な部分も、もはやない。ある意味、ブレーキが壊れたオンボロ中古車みたいなものだ。
 ただ、そうは言っても、長年の経験と勘みたいなもので、最低限のリスクヘッジはとれているような気がする。このリスクヘッジがあるだけ、多少は大人になったのかもしれない。

 また話は変わって、独立してずっとこの記事のようなものを書き続けている。数にしたら、260記事とかそんなものだ。会社を作って数年経つのだが、たいして必要以上に営業をかける気もなかったので、名刺変わりの何かが欲しかった。そのためにとにかく記事をあげていこうと考え、独立した初日から始めていった。最初の半年は、毎日1記事のペース。そしてしばらくして徐々にペースを落としていった。ありがたいことにほんの少しだが、当時よりは見る人も増えたし、反応も若干ある。

 ちなみに私の仕事はコンサルタントなのだが、最近で、一番見られる記事は、下記である。もはや、これもなんのことだかわからない。
(もちろん、経営や不動産に関することも、それなりに見られている)


 先日、何気にiTunesを見ていたら曽我部恵一が新しい曲を配信していた。
 それがあまりにも素晴らし過ぎて、いたく感動をした。
 15分を超える曲なのだが、まさにこのコロナの時代にそっと寄り添う素晴らしい曲だ。不安とも快感とも違う、この心が少し暖かくなる曲の感じは、唯一無二だ。
 
 曽我部恵一という人の音楽キャリアはとても長い。サニーディ・サービスというバンドを作り、その後、ソロになり、またバンドを作り、さらにサニーディ を再結成させてと、とにかく多岐なキャリアである。
 私のような40代前半にとって最初の解散までのサニーディ・サービスは、完璧なキャリアだった。いわゆるロック好きが喜ぶ音楽ストーリー。まさにひとつひとつの作品が記号化され、そこに意味を付け足してしまいたくなるほどだ。
 しかし、解散してからは、彼はいろいろな作品を矢継ぎ早に出していった。およそソロになってバンドものを入れると20作以上のリリース。これは、かなりのハイペースだと思う。

 海外にプリンスというアーティストがいた。知ってる人も多いだろうが、80年代を代表するアーティストだ。ファンクの再定義の立役者。80年代ポップの開拓者。変態的で密室的な完成度の高い塊。様々な形容詞で呼ばれるが、彼のもう一つの側面には、異常なほどの多作だということもあげられる。
 とにかくプリンスの音源を網羅するのは大変だ。しかも2枚組や3枚組のアルバムも多くある。死後もまだまだ未発表曲が発表されそうだ。そう考えると総曲数は膨大なものになる。
 しかし、実際のところ、プリンスは最初から多作だったわけではない。本格的に多作になったのは、改名した頃からだろうか。(プリンスは一度改名してまた元の名前に戻している)契約の縛りがあったとしても、そこから異常なペースでリリースしていった。

 曽我部恵一であれ、プリンスであれ、2人とも私的に好きな作品もあれば、好みではない作品もある。しかし、彼らの音楽を聴いていると、安定的な安心感を得ることができる。勿論、多くの作品のなかで時折、雷に打たれるような作品に出会うこともある。
 彼らは、おそらく日常的に作品がどんどん湧いてくるのだろう。2人とも音楽の天才であることは間違いない。彼らは音楽という甘い病気にかかって、熱にうなされながら、作品を作っていった。勿論、キャリアを考えていけば、もっと作品のペースを落として、丁寧にリリースをしていっても良かったのかもしれない。
 しかし、彼らにとっては何よりも先に作品をファンに届けないという思いが勝つ。まず好きなものに溺れること、そしてそれをアウトプットすること。自分のキャリアなんてものは、後から考えればよい。自分のキャリアビジョンやキャリアの進み方よりも、作品の発表のほうが切実なのだ。

 我々も仕事を始めた時に、自分のキャリアに対して気を使う。しかしキャリアを重ねることに、そしてそれが没頭できる事業であったり、業種であったりした場合は、そういった自分のキャリアなどは、後回しにして、どんどん世の中に対してアピールしていったほうが良いかもしれない。どこでどういった結果が生まれるのか、また自分がどこに行き着くのかなのかは、後回しにして、とにかく出したいものを出しまくる。まずは、発信、が命である。
 勿論、発信するためには、彼ら2人にとって音楽がそうだったように、自分の好きなものや没頭できるものでなければいけない。

 もしかしたら、才能というのは、それを見つける力なのかもしれない。

 見つけることができれば、ラッキーだ。
 あとは没頭するのみである。