佐野元春の歌う「自由」がブーメランみたいにハートを突き刺した。

  日本のポップミュージックの歴史のなかで燦然と輝く佐野元春というミュージシャン。
 また残念ながら現在、最も過小評価されているミュージシャンでもあると思う。40代以上の人間には神のような存在ではあるが、おそらく30代、または20代の人間からするとあまりよく知らない白髪のミュージシャンとう認識ではないだろうか。

 尾崎豊からミスターチルドレン、バンプオブチキンまで多大な影響を与えてきたミュージシャンである。1980年代において、ビートを効かしたロック、速射砲のように吐き出される心を突き刺す歌詞と圧倒的なライブパフォーマンスでトップに上り詰め、その後、アメリカに渡りVISITORSというヒップポップを取り入れた傑作アルバムをリリースし、日本の音楽界に多大な影響を与えてきた。
私のような40歳の世代にとっては、既にカリスマ化していて、少し取っ付きにくかったが、常にその音楽は傍らにあった。

この年齢になって、ここ最近、佐野元春のすべてのアルバムを繰り返し聴いている。
なぜ、この時代になっても彼は輝き続けることができるのだろう。

彼の音楽性は、とても多彩であり常に時代の先端を走っていた。デビューアルバムからノーダメージまでの初期までのビートポップは言うまでもなく、ヒップホップを取り入れた帰国後のVISITORS、ブリティッシュロックを踏襲した90年代初期、バンドの可能性を試したbarn、宅録の極みのエッジアンドエッグなど様々な挑戦をした90年代後半、そしてゼロ年代の時代の空気を嗅ぎ取った名作のアルバムたち。
現在でも全く色褪せることはなく、常にリアルな音を感じることができる。ある種、徹底した先鋭性をもってすれば、逆に現実の批評性を帯びてくることがわかる。

彼の歌うテーマは、デビュー時から一貫している。それは、自由と解放だ。初期の歌詞では抑圧された社会のなかで、自由の大切さをユーザーに気付かせていた。1980年代、日本は未曾有の好景気、団塊の世代ではない価値観を模索していた若者たちにとって最新式の自由、価値観を歌うことにより、大きな影響を与えた。
90年代になりバブルが弾け、失われた20年が始まり日本は経済はトンネルに入ってしまうが、そのなかで佐野元春の存在は、少しずつ色褪せていったように感じる。音楽業界においては、ロックフェスの台頭や日本独自のオルタナロックシーンの盛り上がりから少しずつ佐野の存在感は薄くなっていった。
00年代に入り、彼の存在は孤高となっていたが、しかし最近になって、また新しい若いファンを獲得している。

昨今の働き方や、生き方が大きく変革していくなかで、我々の価値感は精神的にどれほどの自由を得るかが重要になっている。
個人としての自由や快適さにフォーカスを当てた時代の変革は、まだ完全に変革し切れていない。会社や組織という概念自体は変容しているが、まだまだ陰鬱な空気感は変わっていない。
そんな時代で、佐野元春の歌ってきた自由と解放は、まさに時代とジャストフィットしている。デビュー時から一貫してのテーマに時代が、少しずつ追いついてきているように感じる。
個人の自由や解放は、ある種の人間の尊厳への戦いだ。これは、大昔から人間の大きなテーマだった。佐野元春の普遍性は、人間の尊厳の獲得の戦いのテーマだった。
今後も彼の活動をずっと追っていきたい。