1月にアメリカとイランが一触即発になったニュースで幕を開けた2020年。この1年は何かあるのではないか、オリンピックイヤーではあるがそれだけではない「何か」があるのでは、と感じた人も多かったのではないだろうか。
御周知のように、世間はコロナウィルスで大変なことになり、世界の話題はそれ一色だ。当然、日本もコロナウィルスの話題で持ちきりになり、学校は休校になり、不要不出の外出は控えるように政府からアナウンスされている。
もはや対岸の火事ではなく、実際の生活面、仕事面でも他の人と同様に私もそれなりに影響を受けている。
・平日に私の娘が1人で留守番をしている。
・マスクなどの必要なものが街から姿を消している。それに乗じてティッシュ、トイレットペーパーなども
・夜の居酒屋が壊滅的にガラガラ(それが渋谷だったり銀座だったりする。多くの店が空いている。。)
・日経平均株価は急落
・宿泊業が大打撃。瀕死の事業者が噴出している
・その他観光業、サービス業などにも経済的に大きなダメージを受けている
・各商談がリスケされたり、セミナーが中止になっている。
専門家でも有識者でもない私は今後、このコロナの脅威がどのように収束するのか、いつ収束するのかよくわからない(専門家がわかっているのかも疑問だが)。また加えて、東京オリンピックがはたして開催されるのかどうかもわからない。ただひとつ言えるのは、経済が悪い方向に向かっていることだけは、いくら私でもわかっている。そしてそれが、とても大きなダメージを企業、そして働く人々にこれから与えるであろうことも確信が持てる。
景気というのは、あくまで気持ち、心理的な作用によるところが大きい。「金がある、金を使って楽しもう!」という人が増えると、金が世の中にまわり始め、景気は良くなる。逆に「金がない、ひっそりと質素に生活しよう。。」という人が増えると、景気は停滞する。あくまで生産側の問題ではなく、やはり最後の消費という観点からではないと、景気は語れない。
そう考えると、ここ最近の経済状況は、日本はかなりマズいことになっているのではないだろうか。
また逆に言えば、これまで実態の伴わない経済状況のなかで、金融緩和というピストルは、やはりそれはそれで効果的だったということも理解できる。
しかし上流の金融から下流の消費に至るまで、ここに整合性が取れていない限り、どこかで歪みは生まれてくるだろう。現在、あまりにも消費という観点から相当に経済はダメージを受けているので、様々な歪みが生まれてきているように感じる。
とはいえ、ではどうすべきか、というところになるのだが、やはり指をくわえていても致し方ない。ほうっておいても時間は過ぎるし、各々が各々の立場で生き抜いていかなければいけないだろう。
最近、周りのかたと「ロジカルな助け合い」について話す機会が多い。
これからテレワークの導入が進み、生産性の向上が図られるだろう。人手不足のなか、どのように生産性を向上させるかは非常に重要なテーマだ。しかしながら、生産性向上や効率的な働き方をしたところで根本的に大きな変化は起こらない。
また「助け合い」というおそらく人類が農耕を始めて以来、脈々と続けているこの原始的な社会性の極みのような言葉も、現在ではさまざまな意味を成しているように感じる。「何かあったら助けるよ」、「なんとなく困ったら連絡してね」という薄い助け合いから、「以前助けたから今度のアレは宜しく」、「今回助けてくれたら、次回アレをやります」という無味乾燥でありながら仁侠一歩手前な助け合いまで様々ある。
そしてこの助け合いをどのようなルールでどのように「ロジカル」に進めるかが非常に今後重要になると個人的に考えている。
企業買収などもそうだ。どのように企業を救済させるか、そして買収後どのようにそれぞれのリソースを使い、「ロジカルに助け合う」かが重要になる。また企業内であれば部署間の助け合いもそうかもしれない。一方的な要求ではなく、双方の部署が効果的に相互作用を図る極めてロジカルな解決策を考えていくことが必要だ。
またこれは社会にも当てはめる。たとえば「地方を助ける」という中央の上から目線の言葉ではなく、「中央と地方をお互いにロジカルに助け合う」という言葉で視界がクリアになる。
今後人々はより一層助け合わなければいけない社会になるだろう。しかしそこはあくまでロジカルに進めなければいけない。
そしてロジカルに助け合うことで、これからの社会情勢にも耐えうる共同体を作ることができるのではないだろうか。
それはもしかしたら資本論理に則った企業体なのかもしれないし、互助会みたいなものかもしれないし、地元の集まりかもしれない。しかしながらどの共同体でもお互いを尊重する気持ちを忘れず、かつそれでも論理的に運営し助け合うことが重要なのは間違いない。
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