決済権の無さが、働く意欲を削いでいる。

 取引先や営業先に打ち合わせに行くと、企業で働く人のストレスを感じてしまうことが多い。私自身も一応独立しているので、それ相応の働くことに対してのストレスはあるが、彼らのストレスは若干異なるような気がする。しかしながら、例えば大企業で働くと、それなりの安定や給料を得ることができる。とはいえ、何故これほどまでに辛そうに働くのだろう。これは世界共通のストレスなのかもしれないが、あくまで個人的に思うところとして、このようなストレスは、日本企業全体の特有なもののような気がする。

 私自身も、何社かのそれなりに大きな企業で働いていた時に、なかなかのストレスを感じていた。今のほうが総体的に見ると、労働時間は増加しているのにも関わらず、おそらくストレスは少ない。
 自分で生計を立てるとなると、いろいろな不安が襲ってくる。来年の生計や仕事のことなど、なかなか悩みは尽きない。それでも、企業で働いていた時よりも、ストレスは少なくなっている筈だ。

 たとえば自分自身が「良い!」と思ったサービスでも、企業では殆どそれが採用されることはない。世間的には、自主性や自発性などと謳っていても、また多くの企業でもそれを採用していると言っても、現実的にはなかなか実現化されない。

 ひとつは、予算立ての段階でつまづいてしまうことがあげられる。仮に1億円の予算があり、それなりの素晴らしい事業計画を立てたとしても、実際それほどの金額にトップは殆ど決済を出さない。
 そうすると、どうなるか。とりあえず「低予算」で、「無理のない範囲」でやってみなさい、という指示がでる。予算をかけるべきサービスなのに、それが小さな規模のサービスになったところで、当然流行る筈はない。

 また法務的リスクや情報漏洩リスクがあるため、尖ったサービスは、そのリスクをクリアした後は、見る影もないサービスに変容しているケースも多い。もっと言えばこのようなリスクの洗い出しに何ヶ月もかかってしまい、サービスを思いついた時点より随分長い時間がかってしまう。これは、残念ながら市場のスピードとは全く違う時間スピードだ。サービスを発表する頃には当然、そのようなサービスは時代遅れになっている。

 私は企業に勤めていた時、「どうやって上を納得させようか?」ということばかりを考えていたように思う。また、社歴が長くなるにつれ、いくら頭の中で良いサービスを生み出しても、これがなかなか遂行できないのを経験的にわかってしまう。そうすると、残念ながら、もはや提案することも無意味に感じてしまう。そうして、また1人の日本型サラリーマンが生まれてしまう。
 こうした状況を、では、企業のトップがわかっているか、と言われれば、殆ど理解していないだろう。彼らの耳に届くまで星の数ほどの提案が消え去っている。またこうした状況を知らないまま、企業のトップは、周囲にこう謳うことが多い
「ウチには自主性が足りない」


 勿論、そんな企業のなかでも、着実にやりたいことをやっている人々もいる。この方々は、本当に並大抵のスキルではないだろう。行動量や提案力、調整力、どれもズバ抜けている。また社内営業力もとんでもなく高い。

 しかしながらそうしたスーパーマンはごく一部で、それ以外の殆どの人間は、どこか奥歯にモノが挟まったような言葉に終始し、そして毎日を波風立てないように働くことになる。

 はたして、本当にこのままで日本は大丈夫なのだろうか?

 実際のところ働くうえで、「これをやりたい」という意欲が削がれることは、相当なストレス増になる。決済権がないが故に、いくら良いことを考え、それを提案しても、跳ね返されてしまうことは、まるでボデイブローのように働く意欲を削いでいく。またサービスだけではなく、人事配置やマネジメント手法なども、これらの決済権がなければ、本当にやりがいみたいなものは起きない。
 勿論、社員の提案内容自体がダメなものもあるだろう。しかし問題は、「納得ができる不採用」か否かがネックである。この説明責任を果たす企業は驚くほど少ないように思う。

 
 このような現実をどうすれば良いのか、私自身は明確な答えは持ち合わせていない。
 しかし間違いなく、この数十年で日本の経済力は落ち、働く人々のストレスは増してきた。


 本当の働き方改革は、かなり根深い問題をクリアしなければいけないのではないだろうか。