「PDCA」、舐めたらアカンって

 ここ最近の仕事は、相変わらずリモートで行うことが多い。仕事の内容は、私に限らずだが、「打ち合わせ」と「作業」という二つの内容が大半を占める。話し合い、なにかを決めたり、思案することと。また、作業を行い、なにかをまとめること。とても人間はシンプルに仕事をしていたんだな、とここ最近は特に感じる。迷路にはまることがあったとしても、根本の仕事の内容は大層なものではないのだ。

 またこの約1年は、1日のそれなりの時間を学習時間に費やしている。平均すると2時間強ぐらいだろうか。なかなか仕事をしながら学習の時間を作るのは難しいものがあった。しかしながら、今回のコロナの件があり、比較的時間を確保することができるようになった。これはこれで怪我の功名みたいなものかもしれない。

 また今回の自身の学習のなかで、様々なビジネスフレームワークや専門用語を学んだ。名の知れたSWOT分析、5FORCEなどから始まり、投資理論のWACCの公式やMM理論など、頭が痛くなるような言葉や単語を詰め込むのは、40歳を超えると、厳しいものがある。
 しかしある種、言葉を覚えることは、新しい思考能力を身につけるという要素もある。仕事の会話のなかで、新たに定着した覚えたての言葉が頭に思い浮かぶ。これこそがおそらく小さいながらの「成長」になるのだろう。もちろん重要なのは、それをきちんと具現化することなのだろうが。

 話を戻すが、現在のようにリモートでの打ち合わせが続くと、当然のように新しい仕事のアイデア出しをすることが多い。オンラインの打ち合わせだからこそ、無駄な忖度はなく、商談に絞って会話を進めることができる。
 また全体会議のようなものも、オンラインで行うとによって、かなり効率的になったのではないだろうか。報告時間も短く、また無駄話や議論の脱線もあまり多くはないので、これもやはり効果的であると感じる。

 このような効率的な動きのなかで、世間では、日々の新しい仕事が、次々と生まれていっている。またそれらの生まれたものは、次々と既存の市場に放り込まれている。
 とはいえ、しかしながら、そんななかで少なからず、問題というか困ったことが増えていることも忘れてはならない。

 個人的にひとつ感じるのは、仕事の効率性が上がったがゆえに、新しいプロジェクトや新規サービスの多くが、かなり停滞したり、空中分解しているのではないだろうか。あくまで感覚的だが、個人的にはそのようなことを感じる。

 世の中の仕事は今回のコロナの件で、かなり効率的になった。それはそれでおおいに賛同できる。このようなご時勢で新しいアイデアも生まれやすくなったが、それらがきちんと計画され、運営されていくことも減っていっているのではないだろうか。

 数時間かけて議論され、「では、やってみよう」となった仕事。しかしながら、なかなか実行フェーズに移らない。
 また計画して実行したものの、はたしてその結果に対しての振り返りがなく、なんとなく収束してしまった仕事。また振り返りまで行ったが、次の改善活動まで移せていない仕事などなど。
 このリモートワークで新しい仕事がどんどん生み出されるからこそ、さまざまな問題も生まれているだろう。

 使い古されたPDCAという言葉がある。
 計画され、実行され、チェックし、改善活動を行う、この一連のサイクル活動。おそらく社会人1年目の人たちが最初に学ぶフレームワークなのかもしれない。しかし様々な用語や単語を学んだとしても、結局のところ、このフレームワークがなによりも大事なのではと、最近はとても感じる。

 私のような仕事の人間が今更ながらPDCAです、と言い切ることは、ある意味、アホに見えるかもしれないが、結局一周回ってPDCAである。

 きちんと計画をし、それを実行し、振り返り、改善していくというこの流れに勝るものは数少ない。

 最近の打ち合わせや新規の仕事でもまずこのPDCAを基本軸に置いて議論を進める。なぜなら、このようなリモートメインの仕事になり、計画から実行に移すことや、実行を振り返る機会が極端に減っているからだ。忘れてはいけないのはこの基礎中の基礎であるPDCAだ。

 どんどん計画したものは、実行に移す。そしてそれを放り出したりせず、確認し、改善活動を行なう。自戒の念も込めて、今いちど、このコロナ禍でPDCAを徹底していこうと思う。

 もし皆さまもお仕事で少し行き詰まった時、この基本的な活動サイクルに立ち返ってみても良いのではないだろうか。