ドラマ「カルテット」に見る共同生活と二拠点生活のスタンダード化について

 この一年は、家にいる時間が増えたのと共に、ドラマを見る時間も増えたかたも多いかと思う。私も、例に漏れず、かなり多くのドラマを見た。おもに、海外ドラマがメインだ。しかもNetflix配信のものが多い。恐るべしNetflixである。ひたすら良質なドラマコンテンツを配信してくれる。この一年で鑑賞したものだと、「ペーパーハウス」、「ナルコス」、「リバーテイル」、「愛の不時着」「クイーンズ・ギャンビット」などなど。いずれもとても面白く拝見した。それにしても、便利な世の中になったものだ。
 しかしながら、ずっと海外ドラマを鑑賞すると、少し食傷気味になってしまう。ワクワクするドラマを立て続けに見るのは、それはそれで体力を奪われるような気がする。そんな時は、以前に見た印象深い国内ドラマを見るようにしている。なにせ一度鑑賞したことがあるので、かなり安心して見ることができる。「古畑任三郎」から始まり、「東京ラブストーリー」、はては、「北の国から」まで。日本語、かつ日本文化全開のドラマを見ると、なんとなく安心ができる。

 最近では、数年前にTBSで配信された「カルテット」というドラマを見ている。ほんの数年前に話題になったドラマなので、記憶にあるかたも多いだろう。脚本は坂本裕二。出演は、松たか子、松田龍平、満島ひかり、高橋一生。全員、演技が本当に上手い。
 このドラマの設定は、軽井沢の一軒家(別荘)でミュージシャン志望(もしくは音楽に対して未練がまだある)の30代中盤の男女が、共同生活をするドラマだ。
 勿論、ただ共同生活の模様を垂れ流すだけでは、ドラマとして面白味がないので、このメンバーが集まった背景や、それぞれのメンバーのエピソードなどにミステリー要素を持たせて、話を進めていっている。なかなかこの辺りの、話の展開が予測不能で、他とは違った特異なドラマとして、当時もそれなりに話題になった。

 それにしても、改めて、このドラマを見返すと、世の中の生活様式基準の変化に少し驚いてしまう。
 当時(といってもほんの数年前まで)、軽井沢と東京で二拠点で生活する人は、かなりの変わり者に見えた。しかし、今、デュアル生活は、それなりに一般的になり、かつ認知度も高くなっている。今、「週末だけ軽井沢に住んで、音楽仲間と共同生活しています」と知り合いに言われても何の違和感も抱かないだろう。
 またシェアハウスで自分自身の趣味の合う人と共同生活を行うのも、今では、珍しくもなんともなく、普通のことのように感じる。
 そう考えると、この数年でやはり多拠点生活やそれに伴う共同生活は少しずつ一般的になりつつあるのだ。

 ちなみにドラマでは、この4人の共同生活のルールや運営方法、特徴などが、とても細部にわたって描かれている。
 ・ご飯の当番
 ・ゴミの当番(1人に負担が行き、少し揉める)
 ・それぞれ各部屋を割り当てられており、プライベートが確保されていること
   ・全員が集まる一階にはテレビがない
 ・お互い敬語で話す

 住人の全員が30歳を超えているので、共通の社会的なルールは維持されている。また、自分の主義主張を強く押し付けたりはしない。(細かい小競り合いはあるけど)
  おそらくこのような空間を成り立たせるためには、年齢なのか、趣味なのか、価値観なのか、何らかの共通認識が必要なのだろう。ドラマでも、このような共通認識のボタンの掛け違いから、様々な事件が発生する。

 コロナが落ち着くのがいつなのかは、わからないが、収束後は、おそらく人々の多拠点生活や、新しい共同生活は、より一般的になるだろう。

 週末だけ、都心から離れた場所で友人達と集まる。共通の趣味を持った人々と共同生活を行う。そうした生活様式が今後、より加速されていくと、もしかしたら地方創生や空き家などの問題にほんの少しの光明を見出せるかもしれない。
 勿論、そこにはドラマで描かれているような「ユーモア」も忘れてはいけないように思う。少しドライでユーモラスなほうが、共同生活、多拠点生活は面白いのかもしれない。