よくよく考えると、「今」は我々の憧れの「近未来」だった。

 私は一応、会社の代表者だが、ほとんど事務所には出社しない。自分のオフィスに月に一度もいかないこともある。郵便は全て自宅に転送され、電話も転送され、メール、その他の連絡手段は当然、スマホに届くので全く不便なところはない。

 またこのコロナの影響で打ち合わせも電話打ち合わせやオンライン打ち合わせが増えた。(そもそも打ち合わせ自体もあまりなく、ほぼメッセンジャーやチャットワークなどで終わらせる)
 ただそうは言っても、客先のクライアントのところに伺うことはとても多く(現場に顔を出さないと分からないことが多い。。)満員電車に乗ることもあれば、朝から晩までクライアントの事務所にいることもある。
 また家で仕事をすることも日もあれば、数時間刻みでいろいろな企業に訪問する日もあるので、なんとも中途半端な感じがしないでもないが、ただ当人にとっては特段不満はない。

 これまでは私のような自宅で働いたり、外で働くようなパラレルな働き方は、非常に稀だったのかもしれないが、今では一般的になったようだ。
 今回の一連のコロナショックでリモートワークが、かなりフォーカスされた。このリモートワークが「物理的にほぼ可能」になったということに対して、ある意味、感動を覚える。それにしても便利な時代になったものだ。
 ただ、悲しいかな、リモートワークが「物理的に可能」なのに、全ての企業が導入しないのは、これはテクノロジーの問題ではなく、企業文化によるところが大きいのだろう。今回、それが顕在化されたような気がする。

 ちなみによくよく考えると、今更ながらだが、仕事だけではなく殆どその他のことも家で完結させることができてしまうことを強く感じる。まさに、40代の自分が思い描いていた近未来の時代に今は突入しているのだ。

 そういえば、昔はレンタルビデオショップに行くことがとても楽しみだった。話題の新作映画がレンタル開始になった日などは、全て貸出中になっていないか心配だった。今やネットで新作を映像コンテンツをレンタルできる。また数万本もある映画作品も月額いくらかでも払えば自由にそれらの作品が鑑賞することができる。

 また昔はレコード屋に行くことも楽しみだった。学生時代、時間空いた時は、タワレコに行き、よく試聴コーナーで新作を試聴していた。そしてなけなしの金で、レコードやCDを買い漁った。しかし、今や月額千円程で世界中の音楽を聴くことができる。新作もワンクリック無料で試聴できる。

 それと共に好きなアーティストや芸能人のインタビューが読みたくて、本屋に行って音楽雑誌を立ち読みしていた。また、新しい作品の批評なども読みたかったので、雑誌の発売日がとても楽しみだった。今や、アーティストは自分自身の無料動画チャンネルを持ち、直接彼らにメッセージを届けることができる。またネットを叩けば、多くのユーザーの直接的なレビューを見ることもできる。

 食べ物も取り寄せることができるし、運動もトレーニング指南の動画を見ながら運動できる。また英語などの語学学習もアプリで落として、勉強することができる。受験勉強などもオンライン学習で行うことができる。
 
 ひたすら便利な時代だ。本当にこの十数年でライフスタイルは大きく変わった。これからもこの「巣篭もり」のスタイルは進んでいくだろう。
 
 現在、世界中の先進国の多くの人々がコロナショックで巣篭もり状態になっている。これをずっと続けていくことは、経済をとんでもなく停滞させるので、いずれはこの世界中で発せられている勧告は、徐々に解除されていくだろう。とはいえ、現在のこの時点では、はたしていつこのコロナ問題が収束するのか検討もつかない。

 話を戻すと、今は近未来だ。家にいても、多くのことが経験できる。昔、好きだった映画を鑑賞してみても良いかもしれない。学生時代に聞いていた音楽を聴き直しても良いかもしれない。
 せっかくなので、資格勉強を頑張って見るのも良いだろうし、自宅でトレーニングをしても良いかもしれない。
 このようなライフスタイルを過ごしやすい住宅で過ごすのは、とても重要だ。これからの住宅スタイルは、もしかしたらこの「なんでもできる場所」というところがキーワードになってくるかもしれない。

 外に出ると美味しい空気があり、新しい出会いが多くある。見果てない場所を旅をして、新しい自分を発見することもできる。痺れるような相対する商談もあるし、テンションが上がるスポーツ観戦もある。それは外でしか得られない感覚だ。

 しかし家にいても楽しみはたくさんある。外に出れない時は、家で自分の「好き」や「興味」を付き詰めても良いかもしれない。

 何せ今は近未来なのだから。