人の縁は、「線」ではなく「円」であること

 日本には一億人以上の人間が住んでいて、特に東京には見渡す限り、人、人の数。しかしながら、なかなか知り合いにバッタリ会うことは少ない。それでもたまに、何かの拍子に知り合いにバッタリ会うこともある。面白いもので、この偶然の出会いによって、仕事やプライベートに大きな変化が生まれてくることもある。


 仕事で人脈が大事か否か、を議論されることが多いが、人脈が大事かどうかはさておき、人との縁というものは人生に大きな影響を及ぼすものだと個人的には感じる。

 年齢を重ねていくとわかるが、人との出会いは一過性のものではない。数年前に出会った人でも、数年後には密接に関わることになったりもするし、また逆に数年前まで非常に濃い付き合いをしていた人と数年後になんとなく疎遠になったりする。

 最近つくづく思うのは、人との縁は、太陽の周りを回っている惑星のようだと感じる。

 ある時期は、太陽の逆側にいて、全く姿が見えない惑星も、時期が変わると近づいてくる。そして再接近した後、またそれぞれの周回に戻っていく。この周回の長さも惑星によって様々だ。とても小さい円を描いている惑星もあるし、大きな円を描いている惑星もある。
 人との縁もこのように惑星のように周回があるような気がする。ある人と会うべき時に会い、そして離れていく。そしてまた時期が来ると、接近していく。緩やかな円を描くように人と人とは出会いと別れを繰り返す。

 不思議なもので、20代の頃の知り合いと仕事をすることがあったり、10代の頃の友人と再会したりすることがある。それはとても理屈では説明できない。
 しかし勿論、そうではない対人関係もあるだろう。それは単純に「ご縁」がないだけかもしれない。たまたま出会ってしまい、もう二度と会わない人たちもいるだろう。しかし人生の面白いところは、このもう会わないと思っていた人たちも、何らかの拍子でバッタリ会ったりすることがあるということだ。自分自身の円の周回の長さも、当然、他人の円の周回の長さも誰ひとり理解できない。
 しかし、だからこそ人と人との縁は一過性の「線」ではなく、大きな目の見えない丸い「円」のように見える。


 生きていくうえで周りの人の「縁」を「円」として考えるのか、ただの「線」として考えるかは、とても重要だ。何も「縁」を大事にしたほうが良い、という単純なことではない。この「縁」というのが、丸く、そしてある部分では抗えないものだということを理解していたほうが、気は楽だということだ。
 また、こうした偶然を楽しみ方こそ、それぞれのパーソナリティの特異性なのかもしれない。
 これからも人と人との縁を楽しみながら、生きたいと思う。

 そういえば、小沢健二のファーストアルバムの「天使たちのシーン」という曲でこういった歌詞があった。

 愛すべき生まれて育ってくサークル。君や僕を繋いでく緩やかな法則(ルール)