引越しや新生活の相談を受ける仕事。


 先日、物件を探しているとある男性のかたとお会いした。
 そのかたは、とにかくポータルサイトで物件を検索し続けていた。自分の希望賃料を入力し、希望の沿線や駅を検索する。しかしなかなか条件に合致する物件が見つからない。かといって、他に部屋を見つける術を知らない。時間をかけて必死に空いている時間を見つけては検索を繰り返していた。

 彼は、「物件を見過ぎてよくわかんなくなってきたよ」と笑いながら、私に言った。

 もし、そのかたの身近なところに優秀な不動産仲介会社の人間がいたら、こうはならなかっただろう。
 おそらくそのかたの本当に譲れない条件や優先順位をヒアリングし、そしてそのひとに合ったエリアや物件をそっと提案していることと思う。
  そういった人間に出会っていれば、彼のお部屋探しの時間はかなりショートカットできていただろう。


 先日、テレビで「ドキュメント72時間」というNHKの番組を観た。この番組は、ひとつの場所を特定し、その場所の3日間を定点観測するという非常にユニークな番組だ。
 たとえば海岸という場所を特定すると、3日間のあいだにいろいろな人が海に訪れる。
 犬の散歩でその場所に来る人、デートで訪れるカップルたち。また逆に、恋を忘れるために海に来た女性など、多種多様な人がその場所に訪れる。
 先日の放送で、この番組のスポットを当てられた場所が、とある九州の不動産店舗だった。
 その日の放送は、大変興味深く面白いものだった。
 当然だが、不動産店舗にも本当にいろんな人が来店する。新生活で胸を踊らせながら、来店する人もいれば、家庭の事情で致し方なく引っ越さなければいけない人もいる。
 番組では、そのような来店客の悲喜交々を上手く演出し、放送していた。

 ある意味、不動産店舗というのは、究極の人間交差点の場所なのかもしれない。

 引越し理由も人によっていろいろあるが、本当にキチンとヒアリングすると、様々だ。
 その人の経済事情や将来の夢、そしてライフスタイルなど、いろいろな要素が引越しには絡み合う。共通点は多少あったとしても、細部はやはり人により異なる。
 それらの個人的な事情を聞いてあげ、整理整頓し、提案していくのが仲介会社に勤める人間の根本的な使命だろう。

 昨今、不動産会社の人財不足や育成などの課題が多いが、まず従業員にこの根本の根本を会社として伝えいくことが、非常に大事かと思う。



 もう10年以上前になるが、今でも覚えていることがある。


 当時は、とある都心の不動産店舗で働いていた。
 
 その時、来店されたのは、大学1年生の女の子だった。母親と二人暮らしで、母子家庭だ。

 神奈川の遠方から都心まで通学しているため、通学時間が2時間近くもかかってしまい、早めに引越したいというご要望だった。

 とはいえ、予算は相当厳しく、しかも当時、保証会社もそこまで浸透されておらず、条件に当てはまる物件が少ない。私のところに来店する前までに、実際、彼女は、何度か物件に申し込みをしたが、全て審査落ちされていた。

 何度もお店に足を運んでもらい、当時の私も自分なりに懸命に部屋を紹介し、何軒か内見に行った。そこでようやく見つかった物件に申し込みをした際に、その彼女のお母さんとお話しした。お母さんはこう言った。

 「やはり、私が母子家庭でパートだから、審査が通らないのでしょうか?娘は、やはり何時間もかけ、通学し続けなければいけないのでしょうか?」
 
 私は通常の申込ルートだと、審査が通らないと思い、申込をしたオーナー宛に手紙を書いた。そして管理会社にその手紙を持参し、頭を下げた。
 (ちなみに知り合いの管理会社さんの物件には、条件に当てはまる該当物件がなかった)

 それが功を奏したかどうかはわからないが、なんとか彼女は入居審査を通すことができた。

 審査通過の連絡をお母さんに電話でご連絡をした際、そのお母さんから泣きながら感謝された。仕事で感謝され、泣かれたのは初めてのことだった。そして契約後に大変ありがたい素敵な感謝の手紙を頂いた。

 それから10年以上経った今でもそのご家族と年賀状のやり取りをしている。

ちなみに娘さんは、昨年お子さんを出産した。



 村上春樹の言葉でこういった言葉がある。

「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」


そう、壁がどんな正しかろうとも、その卵がどんな間違っていようとも、私の立ち位置は常に卵の側にあります。何が正しくて何が間違っているか、何かがそれを決めなければならないとしても、それはおそらく時間とか歴史とかいった類のものです。どんな理由があるにせよ、もし壁の側に立って書く作家がいたとしたら、その仕事にどんな価値があるというのでしょう。

 不動産仲介での客付の仕事が無くなるかどうかはわからない。もしかしたら、商売としては成り立たなくなるかもしれない。
 しかし、誰かが卵のほうに立たなければいけないことは間違いだろう。最後までユーザーの味方であり、彼らに寄り添うことが、客付仲介会社の1番大事な仕事の領分なのかもしれない。

 ちなみに今でも、お母さんからの手紙は大事に保管している。