食に対して飽きている40歳

 よくある家族の会話で「今日のご飯何にしようか?」世間のあちらこちらの家庭でこんな会話があるだろう。
 昔は、焼肉がいいとか、寿司がいいとか、いろいろな希望があったが、最近はとんと無くなってしまった。これは別に体調が悪いとか、そんなシリアスな話でもなんでもなく、少し「食べ物」に飽きてきている自分がいるのではないか、と思うようになっている。

 さすがに40年生きると、それなりにいろいろなものを食べてきた。実家の母の手作り料理から始まり、20代の前半はひたすらコンビニ弁当を食べたり、牛丼を食べたり、酒宴で酒の肴を食べたり、またある程度歳を取ると、世の中の「美味しくて」、「高いもの」をそれなりに食べたりした。
 結論としては、だいぶそれらに飽きている自分に気づいた。そして何が美味いかと言われれば、腹を空かした状態でのご飯、味噌汁、一品のおかずが一番美味いと感じるようになった。

 単純に消化が遅くなっているので、腹が減らなくなっているのかも原因かもしれない。
 微妙な満腹感でご飯を食べるのと、それなりに空腹の状態だと全く満足度は違う。

 これはお酒にも言えることで、禁酒を数週間した後の、ビールが一番美味いことにも気付いてきている。
 
 しかし生活として、何かを食べないといけない、また酒を飲まないといけない局面が歳とともに比例して増えてきて、それに対して食に対して飽きている自分がいる。
 こういうことは、贅沢なことだろう。しかしおそらく日本のかなりの人間がこういうことを感じているのではないかと思う。
 
 人間は飽きやすい生き物だ。何かにハマって、またそれに飽きて、次のハマるものを探す。それの繰り返しだと感じる。これは食だけではなく、たとえば趣味もそうだし、生活スタイル全体がそうかもしれない。
 東京に暮らしていると、たまに田舎の生活が恋しくなる。田舎の新鮮な空気を吸いたくなったり、広い空や綺麗な海を見たくなる。しかしおそらく自分は、1週間もすれば東京に戻りたくなるだろう。それは田舎が嫌だからではなく、単純に「飽きる」のだ。
 
 では、どのように飽きないようにすれば良いか。これは、何かを少し「我慢」することが重要なのかもしれない。今はスマホでどんな情報も手に入る。そして文字通りお店に行かなくても、なんでも購入することができる。そして生活も飛躍的に便利になり、そうすると意外と時間の効率化が図れてきて、それでまた時間が生まれ、何かにハマる。そこでは我慢をするよりも、少しでも空いた時間を埋めたいという欲望が勝り、また何かを消費する。
 当然、昔のようなお店に並んで買うことや、ご馳走を楽しみに生きる機会は減ってきた。

 もしかしたら、あえてこのあたりを、自分で調整しなければいけない時代になってきたのかもしれない。
 自分の欲望が簡単に手に入れるようになった時代だからこそ、自分の欲望を調整し、そしてひとつひとつの生活、行動を大切にできるような仕掛けを考えなければいけないだろう。