個人的な話を聞くこと。

 仕事柄、様々な人と会話をする。いや、会話というよりヒアリングしている時間のほうが多いだろうか。

 このヒアリングには、いろいろなコツがあるような気がするが、とにかく聞く内容云々より聞く姿勢みたいなものが重要かと思う。
 相槌のタイミングや、目線など、細かく系統立ててはいないが、なんとなく一定のそういう基準化されたヒアリングの姿勢があるのだろう。

 しかし、そうは言ってもこの聞く姿勢にはマニュアル化できないものがある。これは、自分自身しかできないコツであり、他のかたが使用できるようなものではない。
 逆も然りで、他人の聞く姿勢を、私が真似たところで、それが上手くいくとは思わない。ヒアリングの姿勢にも、聞き手のパーソナリティが大きく関係しているような気がするのだ。

 面談や話し合いの際、当初は、仕事の話をしていくのだが、しばらく経った頃、個人的な過去の話を打ち明けられることが、結構ある。
 通常であれば、仕事、業務の話に振り戻すべきなのだろうが、個人的に、このパーソナルな話は、とても強い関心を持ってしまう。
 
 彼や彼女が、どのような経験をしていたのか、その場面をありありと思い浮かべることで、その人のパーソナリティを理解できるこことも多い。
 人々は、世の中の条理では説明できない面白い話を、いくつか持っており、そこには何の教訓めいたものも提示することができないが、とても印象に残るものが多い。
 私は、そのような話に対して、一種、中毒のように欲しがる傾向があり、かなり身を乗り出して聞く。
 偶然に誰かに会って運命が変わった話。お酒を飲んで失敗した話などなど。

 しかしながら、他者が話す時にひとつだけ聞き手として注意しなければいけないことがある。

 それは、語り手のバイアス(思い込み)が多分にある、という事実だ。現実として起こった事象が主観によって若干曲がった状態で変わってしまう。こういうケースは、かなり多い。
 私は心の中で、そのバイアスを外しながら、話し手の話を聞く。イメージとしては、言葉についた贅肉を剥がしていくようなイメージだろうか。
 
 そうすると、なんとも形容のできない不思議な話だけが、シンプルな形で残る。
 しかしそこには何らかの心を惹きつける情景があり、話の内容がある。

 もしかしたら、人のパーソナリティというものは、このようなあくまで個人的なストーリーを紡ぎ合わせて、形成されているのではないだろうか、と考える。
 本人も気づかないほどにさりげなく、蓄積されていくものなのかもしれない。

 コミニュケーションが苦手なかたは、今後、誰かと話す際に、そのような実に不思議な話に耳を傾けてみても良いのかもしれない。
 そうすることで人の面白さや魅力に興味を持つことができるかもしれない。

 
 

 
人と深く付き合うこと
バイアスを外す重要性