学校には卒業があるけど、会社にはそれがないこと

 大学を卒業するときには、当然、それなりに単位を取らなければならない。私は、ほとんど学校に行っていなかったので、この卒業の件に関しては、未だに敏感である。具体的にいえば、たまに数年に一度、単位を落として留年する夢を見る。恥ずかしいことだけど、嫌な汗をかいて目が覚めてしまうことがある。

 当然、学校には出席日数やら、単位やらがあり、このあたりをクリアしなければ、卒業できない。しかしながら、企業に就職すると、卒業という概念がない。

 昔、といっても数十年前までは、定年退職の制度がスタンダードだったため、企業の卒業イコール定年という概念は多少あったかもしれない。

 しかしながら、現在、転職やスキルアップは、かなり一般化されている。勤めている企業で学ぶべきことを学んで、より良い条件のところに転職する。または、勤めている企業と折り合いが悪くなり、好条件のところに転職していく。このあたりは、従業員それぞれの選択に当然、委ねられている。

 採用する企業側としては、企業が続いている限りは、従業員にいてもらいたい。そしてなるべくこの仕事人生を全うしてほしいというのが本音なのかもしれない。

 だが、当然、そんなケースは稀である。数年経つと、次のステップに行きたくなり転職活動を始める、またはこれ以上この会社にいても、というネガティヴな理由で転職活動を始めたりする。

 またスタートアップの企業の場合に、多いケースが、「当面は一緒にやろう」というケースだ。会社が軌道にのるまでの数年間はコミットする、しかし数年後はやりたいことをやる、という約束を代表者と交わして入社する。だか、結果的には、これもなかなか上手くいかない。実際に事業を展開していくと、当初の約束事の落としどころがわかりにくくなる。

 このようなミスマッチは、特段珍しいことではないと思う。卒業の概念がないため、ほとんどの転職は、もしかしたら学校で言うところの「中退」なのかもしれない。
  
 そう考えると、例えば、従業員の個人に合わせて、卒業の履修項目を用意しておくのもひとつの方法かもしれない。

 本当にこの企業で学び尽くしたのか、そしてそれは何を基準に置いているのか、このあたりが割とぼんやりとしていることが多いような気がする。

 また、これはマネジメントにも当てはまる。はたして部下は、今、勤めている企業で「何を」、「どこまで」修得しているのか、また何をもって、本当の意味で「卒業」といえるのかをすり合わせたうえで、共に働くことも今後は必要になるかもしれない。


 今後も、人と企業の流動性は高まっていくだろう。その際に、このような約束ごとは、これからの採用、マネジメントに於いて必要になるかもしれない。

 もはや、人生一企業という概念は、幻想に近くなっているのだから。



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