僕らはいつからクソ親父になってしまったのか?

 20年前の頃、私たちの世代は中学時代に尾崎豊を聞いて、社会に対してイロイロな思い(どちらかといえば反発)を持ち、時間を過ごしていた。そして、高校時代には、安室ちゃんや小沢健二を聞き、我々独自の感性で社会を渡ろう、そしてどこかで変えようとしていた。
つまらない大人にはなりたくない、という意識があり、社会に出て行くことにとても強い拒否感があった。おそらくこれは90年代のど真ん中を過ごしてきた特有の感覚では決してなく、殆ど全ての世代の20代が思っていたことだ。
最近、世の中では組織の不祥事、また謎の忖度が横行し、不動産業界では預金改竄を行い融資を引っ張るという反則技が繰り出され、さらに着服や横領、またパワハラなど見るに耐えない事件が起きているが、その中核にいる、もしくは予備軍たるのが、アラフォー世代、つまり我々世代だ。
40歳になると、組織ではバリバリの中間管理職になるケースが多いが、今やハラスメント規制が多く、腫れものを触るかのように部下に接し、家庭を持ってもゴタゴタのトラブルに苛まれている。そうはいっても根っこが、体育会系の部分も強く残っているので、会社では組織の命令に忠実になり、不正に手を染めたり、白いものを黒と言わざるを得ない時は躊躇なく言ってしまう。

今、あの当時、つまらない大人になりたくないと思っていた人間はどこにいるのだろう?

少なくとも大きな企業のなかにはそういった人は、とても少ないように思える。しかしフリーランスや経営者の人たちは、当時とそんなに変わらず、あの時分のスピリットで生きているような気がする。

 この本では、職場で起こりうる、ある意味不幸な実態を心理学的に分析している。非常に売れているらしい。
本の中で、作者は何故若手が役職が上がるにつれ人間性や仕事の仕方が変わってしまうのか、を分析している。
端的に言うと、人はその上長の役割や仕事の仕方を無意識に学び、それに応じた人間に変わるらしい。当初は、いろいろな思いで入社した若者も、その上長を見るにつれ、「これが正しい」という思い込みが入ってしまい、その型に自分を当てはめていく。そうすると何年か経過すると、不思議なことに彼の行動や言動は変化していってしまう。勿論、そのような上長を見て「これは違う」と思い、進言する若手もいるが、そういった人材は、隅に追いやられる、もしくは、退職をしてしまう。
こうして忖度が横行する独特の企業文化が作りあげられ、若者は当時自分たちが思っていた「つまらない大人」になってしまう。
勿論、こうしたケースが全てというわけではない。闊達に意見を言える素晴らしい組織や会社も世の中には多くあるし、なかなかハードな職場でも自分の信念で戦い続けるビジネスマンも多くいる。
しかしながら、総計として考えると、上記のような企業が多いのが実情だ。

少なからず様々な企業を訪問していて思うのは、やはりその企業には企業なりの文化があり、それが良い意味でも悪い意味でも浸透しているということだ。そして残念なことに、その独特な文化に気付いている役職者は少ない。つまりある種の型を身につけてしまっていて、それがスタンダードになってしまっている。

では、このような企業文化を見直す、そして点検するにはどうしたら良いだろうか?

シンプルながら、「声なき声」をどう拾うかに尽きるだろう。組織のなかで評価の低い人間やダメな烙印を押されている人間が、本当に別の企業にいってもダメなのか?
もちろんそんなことはない。
数え切れないほど、前職の評価が低かった人が、転職して一気に評価を変えたケースを見てきた。またその逆もしかり。
そう考えると、彼らの話しをきちんとヒアリングすることで、企業として何かを見つめ直すきっかけになるかもしれない。
勿論、すぐには変えることはできないが、まずそこから始めることで、何かハッとする機会が増えれば良いと思う。
クソ親父になってしまっても、クソ親父なりの手立てや強みは、必ずあるのだ。