三鷹の森ジブリ美術館に行ってきて、かんがえたこと。

 ジブリ美術館に行ってきた。特段、ジブリ映画が好きなわけではないが、家族(娘)の希望で連れて行かされた。たしか以前にも行ったことがあるが、殆ど覚えていない。
しかしながら、今回は、かなり時間をかけていろいろと見ることができた。そしてとても感銘を受けた。

お客さんは、おそらく半分以上が外国人。しかも西洋系のかたが多かった。
ここで細かい美術館のレポートをするつもりではなく、大まかな美術館の概要を紹介したい。
1.入ってすぐのところで「アニメの歴史」の博物館
2.同じフロアにはショートムービーの上映会
3.2階では、ジブリアニメの初期の製作風景の展示。(宮崎駿のデスクや絵コンテなど)
4.同じ2階フロアで、「食べるを楽しむ」という特別展
5.3階の隅では、ネコバスを設置し、子供がそのなかで遊ぶことができるような設備
6.そして同フロアに図書室、お土産屋
7.屋上にラピュタのマシーンと、飛行石の展示物。2階にはカフェ

と、ざっと説明すると、こんな感じだろうか。

正直、自分はジブリの熱狂的なファンでもなく、嫌っているわけでも当然なく、ごく普通の認知度しか持たない国民だが、なるほどなー、すごいなー、と思わせるところがたくさんあった。

となりのトトロ(流石に見たことがある)の風景は、まさに戦後の昭和の風景だ。田んぼが広がり、広い平屋があり、裏山があり、とても細かいディテールに大きなノスタルジーを感じてしまう。今のようなエジプトのカイロと同じような気温を記録し続ける酷暑の夏ではない、ひと昔前の日本がある。
またいっぽうで、ラピュタやハウルの動く城では、中世西洋を土台とした風景、また調度品、建築物が映像世界を彩っている。不思議なもので、中世の街並みに我々は、強烈な憧れを抱き、とても「オシャレ」なものとして捉える。

ジブリの面白いところは、この昭和のノスタルジーと、西洋の憧れがミックスしているところだ。紅の豚のような30年前の作品が未だにオシャレだと感じるし、風立ちぬの昭和の風景にノスタルジーを感じる。
しかしながらデザインや作品のトーンは、あくまでもジブリとして統一されているのだ。
また、博物館のベースに、生命賛歌が根底に流れている。例えば芋虫一匹、豚一匹でも、とても親しみやすく魅力的に描かれており、我々の住んでいる世界の見方を少し変えてくれる。
正直言って、映画のストーリー的に個人的にイマイチ後半にダレると感じる作品があっても、多くの人が観たい、と思うのは、上記のような世界観に浸りたいと感じるからではないだろうか。

悲しいかな、現在この国に住んでいる我々の世界は、ジブリのような世界ではなくなった。

田舎では空き家が目立ち、家族の繋がりは少なくなり、自然は破壊され、都市では灰色のビルが建ち並び、おしゃれな西洋式の建物を建てても、景色にはマッチしなく、人間はネットを見続け、データ分析され続けられる。
このような世界に歯止めをかける術はなく(別にかけなくても良いかもしれないが)、世界は変化し続ける。ひとつ確実なのは、ジブリの世界とは真逆なほうに。

何かが思い出されるとき、それは心の奥のほうに大事にしまっている何かだが、我々はジブリのこと、それらの作品を喚起し続けるだろう。
そうした作品の存在があることを、とても誇りに思う。またそう思わせる博物館だった。