平成がもうすぐ終わるこの時代に巨人の星を読むと、この昭和の劇画の凄まじさに驚いてしまう。意外とその当時の文化を色濃く反映していて、とても興味深い。まず家の中でタバコは当たり前。トンカツは一家の大ご馳走。そして、とりあえず逆らう子供はぶん殴る。あと、基本的のノーヘル、ノーシートベルトだ。多少の脚色こそあれ、けっして思い切り時代性を無視しているとは思えない。
そんな観点で昭和の漫画を読むとこれはこれで面白い。
先日、とあるかたと会食をしていた時に、マネジメントの話をした。その際に、そのかた曰く、「マネジメントは飛雄馬のお姉さんが基本だ」とのことだ。
飛雄馬は幼少期の頃から親父の一徹にビシバシ鍛えられている。時には大リーグ養成ギブスのような狂気に近い器具を付けられ、目が血走った一徹から鉄拳制裁をくらう。
その際、飛雄馬の姉、星明子は電信柱の隅でそんな飛雄馬を見ながら泣いている。飛雄馬に「バレるぐらい」の立ち位置で。飛雄馬はそんな姉を見て、姉のためにまた立ち上がり、練習に励む。
このバレるぐらいの立ち位置というのが本当に大事だ。もし仮に明子が飛雄馬から完全に「わからないように」わからないように泣いていたら、飛雄馬は練習を諦め、グレていたのかもしれない。
マネジメントはがっつり管理しても、なかなか成果が出ない。また、それに付随して、たとえば面談を頻繁に繰り返しても、あまり手応えを感じることができない。
では、放置したら、これは本当に最悪の結果を招く。人が仕事でキツイのは、存在を認められない時だ。
退職者のかたの話を聞いても、この「見られていない」という原因が、最後の退職決定のトリガーになるケースが多い。
辞める際に、上司は退職者に伝える。
「お前のことを目にかけてたのに」
そのとき、退職者はこう思うだろう。
「見ていたって言っても、気付かなかったす。。」
部下のことを目にかける時は、きちんとその行動を示し、相手に認識させる必要がある。それは星明子のように電子柱から一歩踏み出し、飛雄馬にわからせるよう見守る、あざとさが大事なのかもしれない。それは細かい行動管理よりも、もっと手前でやるべきマネジメント方法かもしれない。
人は他者との関係性があって、初めて力を発揮する。
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