「学ぶ」ことについての考察

  私は一応大学を卒業しているが、実際のところ学校には殆ど行っていない。アルバイトや遊んでばかりで、勉強も殆どしなかった。

 しかし、今にして思うが、やはりもっともっと勉強しておけば良かったと思う。現在も、できることなら大学にもう一度行き、いろいろな勉強をしたい。それが当面の夢みたいなものかもしれない。

 しかしながら、では若い頃から勉強したかったかと聞かれると、そんなことは全くない。どちらと言えば、この10年程度で思うようになったことだ。
  
 ある意味、人生を変える方法の究極のシンプルな方法は、勉強、学問しかないと思っている。
 学問をすることで、世の中の様々な事象を理解する。そして選択肢の幅を広げることができる。
 発展途上国などに食料やインフラを整えた後、次に優先すべきなのは、学校の建設と普及だと個人的に思う。

 そう考えると、学んでいくことは、ある意味で時間と余裕がなければできないことだ。

  さらに言えば、学問は究極の贅沢品なのかもしれない。「知をつける」ことは、手段でありながら、娯楽の一つ足りえるものである。
 このような機会をどれだけ上手く理解し、利用するかが、将来の差を分けるのだろう。

 現在、学問をしたくてもできない人は、たくさんいる。そして学問ができる環境でありながら、それを当然の権利だと考え勉強しない人もたくさんいる。(当然、責められるものではない)

  そんななかでせめていろんな機会を利用して、この贅沢な「学問」という嗜好品をどんどん取り入れていくのは、堅苦しいことではなく、至極当たり前のことなのかもしれない。
 やればやるほど、選択肢が増えていくのなら、やらない理由はない。

 ここ最近では、モノの価値よりも、体験の価値などが重視されるようになってきた。

 改めて知の価値を高めていく時代に差し掛かったのかもしれない。