年齢を重ねていくと、いろいろな事業で成功した人と会うことができるようになった。また事業の成功者のみならず、少ないながらも著名人、有名人のかたともお会いする機会が昔より増えた。
そのなかには、とても話しの合う人もいれば、話が合わない人もいる。勿論、これは人と人との出会いであり、好みの問題である。
また合わないかたと合うようにすることは、自分自身の努力として、必要な部分もある。
しかしながら、個人的にどうしても違和感を抱いてしまうかたがいるのも事実だ。
しかし最近まで、この違和感の正体がなかなかわからなかったが、最近少しこの違和感を抱いてしまうかたの共通点がわかるようになった。
(とはいえ、そういうかたは殆どいないのだが。会っても年に一回あるかないか、である)
私が違和感を感じてしまうのは、ただシンプルに「物欲」に囚われている人だ。
車であれ、家であれ、服であれ、どうしても必要以上に物欲を求めてしまうかたが、一定数いる。そういうかたとお話ししていると、全く自分とは違う考えの人だと思ってしまう。
人間の物欲というものは、割とキリがなく、また男性はモノに対して、男性特有の収集癖みたいなものがあることも事実だ。
しかしながらその物欲が、顕示欲と混同してしまう人は、あまり魅力的に感じることができない。
過去、数えるほどだが、そこに違和感を感じ得ない場面というものがあった。
「〇〇歳だから、家を買わないと」
「この車の別の車種を〇〇台欲しい」
など、これらの発言を聞くたびに少し気後れしてしまっていた。
こういう感覚は、自分だけなのかな、と思っていたが、どうやら割とこの違和感を感じる人は多いらしい。
特に現場で働いている若いかたは、とても強く感じているようだ。成功イコール所有という概念は、もしかしたらもう古い考えなのかもしれない。
たしかにお金を持てば、好きなものを買うことができる。しかし、皆分かっているのだ。金を持って、モノを買っても、それを愛でる時間が無いこと。またそれらを所有すれば、それ以上のモノを欲しがってしまうことを。
今やモノ自体は機能性が重視され、またデザイン性が重視されている。そしてそこに対して、必要以上の拘りは少なくなっている。
当然、高いモノは、素晴らしいものが多い。しかし、それが顕示欲になってしまっている時代は、だんだん終わろうとしている。
これからは、一層、「モノ」から「価値」の時代によりシフトしていくことだろう。
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