「伝説の上司」は何処へ行った?

 クライアントに伺い、打ち合わせをする際、打ち合わせの内容自体は、当然、現存の事業のご相談だったり、新規部署の話だったりする。勿論、内容は数字、確率論の話であり、ドライに議論は進むように感じる。
 しかし、それは打ち合わせの最初だけだ。途中からは、ほとんどそこで働く人自体の話に流れていく。勿論それは悪いことでもなんでもなく、当然のことかもしれない。戦略を作るのも人だし、それを運営するのも人だ。
 人が動かなければ、まず仕事は進まない。
 どんなに効率化が進んでも、人と人で事業は成り立っているのだと思う。

 話は変わり、だいたい30代後半からもっと上の年齢の人とお酒を飲んだりすると、割とよく話題になるネタがある。それは、「伝説の上司」。いわゆる憧れの上司の話だ。飲み会でその話題になると、オジさん達(私を含めて)は嬉々としてその伝説を語る。

 「あの人ほど営業が出来る人は見たことがない」
「あの人は、天才だった」
    
 伝説の上司と言われる人の傾向は、あまり細かいことは口に出さない、そして大体会社からは問題児扱いされている人が多い。。しかしながら、酒とタバコと女が大好きで、営業数字は抜群だが、どこかだらしない。性格は短気で机の中はぐちゃぐちゃ。しかし、部下が何かあった時は一番最初に駆けつけ、クレームがあれば、一緒に謝る。
 勝手なイメージだが、そんな感じだ。

 おそらく今日の夜も都会の酒場は、過去の伝説の上司の話を嬉々として話す人々で溢れるだろう。
 
 さて、一旦冷静に見て、はたして、我々自身は「伝説の上司」になれているのであろうか。部下の目ばかりを気にして、自分自身のオリジナリティを失っていないだろうか。
 コンプライアンスがあるので、そういう滅茶苦茶な人はいなくなった。しかし、ストレートに言うと「つまらない上司」は増えたのかもしれない。部下にお酒を誘うこともできない。一緒に謝ろうとすると、生産性の話になり、それすらできない。そんな組織が多くなったのかもしれない。

 部下が上司に求めていることは、小さなことと大きなことの両方があるように思う。
 小さなことは、業務内容だったり、営業テクニックだったり、クライアントの情報だったり、そんなところだ。
 しかし大きなところで求めることは、人としての「あるべき姿」だと個人的には思う。

 もっと具体的に言えば、
  部下は上司を「ああいう人になりたい」か、「ああいう人間にはなりたくない」のふたつの軸で判断している。
 
 入社し、仕事に慣れ始めた頃、部下にとっての理想の上司なんてものがいること自体が稀だ。だいたいの若い人は、「ああいうオッサンにはなりたくない」と心に思いながら働く。しかし、そのなかには、「ああいう風になりたい」という人に出会うことがある。
 それが「伝説の上司」だ。しかし、残念ながら彼は長くその会社には所属していないだろう。組織はそんな彼を遠くに追いやる。それが組織の理屈だし、それそれ相応の理由もあるだろう。

 しかしながら数十年経った時、本当に大事なことを教えていたのは、そういう「伝説の上司」だったりする。

 話を戻すが、上司のオリジナリティは何処に行ったのだろうか?伝説の上司は現在も存在しているのだろうか?

 面談をし、部下のやる気を引き出すのも良いし、仕事のスキルを細かく伝えるのも良いが、「あの人みたいになりたい」というモチベーションに勝るものはない。
 現在、管理職になりたくない若者が増えているのは、もしかしたら彼ら、彼女らが「伝説の上司」に会っていないのが原因かもしれない。

 我々は、部下に対してどのようにあるべき姿を見せることができるのだろう。
 今、「あんな風になりたくない」と思われているのではないだろうか。

 そんなことをふと考えてみた。
 

 
 
 

 
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