よく言われることだが、世の中には情報が溢れている。先進国の人間は情報ジャンキーのように、移動中でも就寝前でもスマホでニュースアプリやSNSから情報を得ようとする。
この20年程度で、ひとりの人間が獲得できる情報量は大幅に増加した。だからこそ同調圧力やまた質の悪い弱者叩きが加速しているのだろう。
私自身も当然、スマホを触りさまざまな情報を得ることがある。しかしながら、本当に必要な情報は、スマホには落ちていない。どちらかといえば、表層的な情報を得ることしかスマホではできないような気がする。
情報の質、量は、それぞれの獲得方法で大きく異なる。本日は、それを整理してみたいと思う。
1.インターネット上の情報
ネットがあるおかげで、新聞を読む必要がなくなった。またスマホでは周りの知り合いの近況を知ることができる。これ程便利なものはない。スマホで殆どの情報が手に入る。しかし面白いもので、「自分で検索をする」、「ニュースサイトに上がっている」、「友人、知人がピックしている」という情報しか獲得できない。また例えば、総務省の統計データなどもウェブ上でアクセスできるが、その情報の扱い方や意味がわからなければ情報の咀嚼はできない。
2.テレビでの情報
自分に興味がないものでも、テレビは情報を垂れ流してくれる。たとえば地域のニュースや誰かのインタビューなど、自分があまり興味のないものでも情報獲得はできる。しかし当然ながら、「テレビ局が取捨選択した」情報しか手にすることはできない。
3.本から得られる情報
たとえば簡単なダイエットの本でも、読書をして読み切るまで1、2時間はかかるだろう。しかしその本に書かれていることは、かなり頭に入れることができる。情報自体の量は決して多くないが、質と深さにおいては、本といものは、非常に効果的だ。
また情報量とは関係ないが、本というものは、当然、作者が存在する。全くの匿名で書かれている本は少ない。そう考えると、かなり確かな情報が手に入れることができるだろう。また文字を追うことで、論理的思考が身につく。
4.人からの情報
実際、ネットでも本でもテレビでも手に入らない情報というものが、数多くこの世界には存在していることを忘れてはならない。たとえば情報というものは、「公表」され、誰かが受領するものだが、世間には「公表」されていない情報がたくさんある。たとえば、誰かの悪口も、仕事の愚痴も、秘め事も、全て情報になり得る。しかし当の本人がその言葉を発しない限り「情報」にはならない。そういった意味では、誰かに会い、話をすることは、とてつもない情報を手にすることかもしれない。
情報入手は人により様々だが、いずれにしても情報を獲得し、そしてそれを解釈できる思考、知恵が必要だ。
おそらくそうした知恵のようなものは読書などで手に入ることができるだろう。
その知恵をどのように使い情報を整理していくかが今後は大事になっていくのかもしれない。
1.読書をし、情報を整理できる論理的思考、知恵をつける。
2.ネットで必要な表層的情報を手に入れる
3.自分自身で整理し解釈する。
4.人に会い独自の情報を手に入れる
これからの世の中は、より情報の取捨選択が重要な時代になるかもしれない。
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