お酒の力というものは怖いもので、酔っ払うと無謀な挑戦を受けることがある。酒席で、2ヶ月前に「バンジージャンプをしませんか?」と聞かれ、自信満々に、快く承諾した。
それから実をいうと、1カ月前の11月の初旬に家の前で転んでしまい、足首を骨折した。といっても軽微なものであったが、それでも怪我をしてからの2週間はかなりの痛みがあった。
私は、今年、前厄である。
この骨折を厄の始まりにはしたくない。なるべくならば終わりにしたいと思った。
せっかくなので、バンジージャンプをして、厄を思い切り、振り捨てたい気持ちがあった。
そんな気持ちを秘めながら、バンジージャンプをする前日に病院に行き、担当医から無事、骨もくっついた(正式にはズレずにくっつきそう)とのお墨付きをもらい、当日、茨城県の日本一の高さから飛び降りるという竜神大吊橋に向かった。
清水の舞台から飛び降りるという言葉があるように、まさに生死の境目を見極めるような高さからの飛び降りは、正直、想像を絶する恐ろしさがあった。
勿論、よくテレビでバンジージャンプの様子も見ていたし、そこまで臆病なタイプではないと思っていたが、実際の景色を見ると、かなり恐怖心が煽られる。
死んでも知らないよ的な覚書にサインをし、装備を身につけて吊橋まで向かう。
そのあいだも心臓はバクバク、足は竦み、呼吸は荒くなる。
吊橋から飛び降り場まで向かうと、もう逃げ場はない。あとは飛ぶだけだ。
私の順番はグループで最後だったので、次々と同伴者のかたが飛んでいく。なかには、ギブするかたもいた。
人が飛んでいるのを見ると、恐怖心はどんどん加算されていく。
私はだんだんと無口になっていく。
そうしているうちに、ついに私の番が回ってきた。
注意事項をよく聞き、橋の端にまで移動する。(緊張でほとんど理解できない)
強烈な恐怖心だ。下をチラリと向くと、足がすくんでしまう。風は冷たく、空には雲ひとつなく、クリアな景色がより強いリアリティを生み出す。
前を向いて、掛け声に合わせて、橋から身を投げる。この身を出す一歩は、本当にこれまであまり経験したことのない一歩だった。
飛んでいるあいだは、なんともいえない不思議な気持ちになった。怖いのとは少し違う奇妙な感覚だ。
(ちなみに飛んでいたら、自分の靴が外れ、靴が谷底に落ちた。これは極めて珍しいそうだ。そしてそのことで一瞬パニックになった)
何度かゴムでバウンドし、それが落ち着いてから、綱を巻き上げ、無事、橋の上に戻り、終了した。
あっという間の時間だ。
あっという間に準備し、数秒間、橋から飛ぶだけの行為だ。
終わって一服して、車に乗りながら、ぼんやりと以下のようなことを考えた。
人間は、何かを始める時、最初の一歩が肝心である。
たとえば進学や就職。恋愛ならば告白。仕事だと提案や提言。
様々な経験をするためには、事前の準備を怠ってはならない。しかしながら、何よりも肝心なのはその経験を得るための最初の一歩である。
一歩を踏み出すことは、勇気のいることだ。
一歩を踏み出さなければ、経験できない世界がある。
それは、人生において、とても大切なことなのかもしれない。
どんな素晴らしい偉業を成した人でも、最初の一歩は、とても勇気が必要だっただろう。
しかしその一歩は、人生の大きな宝を提供してくれる可能性がある。
些細なことから大きなことまで、結局はこの一歩を踏み出すために、いろいろと日々逡巡しているかもしれない。
何かを悩んだ時、考えるだけではなく、まずは行動を起こす最初の一歩を出すこと。
このことをとても強く意識できた貴重な体験だった。
ちなみに、もう二度とバンジーは、やりたくはない。
もう二度と。。
感性を磨き感覚を剥がす
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