3年B組金八先生の第4シーズン(1996年)の最終回に以下のような言葉がある。
夢見る力、これがこの国のたったひとつの資源です。
遠い国に憧れて、遠い国から学ぶ、それがこの国のエネルギーです。
奈良や大和時代、この国の人々は朝鮮半島の新羅・百済という国に大いに学びました。平安時代、この国の人たちは中国の唐・隋という国に学びました。
明治維新の若者たちは、遥かヨーロッパの国々に大いに夢をはせ、大いに学びました。そして戦後50年、日本はアメリカという国からたくさんのことを学びました。
夢を見る力、遠い国に憧れて、遠い国から学ぶエネルギー、それがこの国を進めてきたんです。
どうぞ皆さんは、夢見る力をこの国の未来に注いでください。
もう皆さんには、夢見る力が十分についています。
さあ、旅立って愛というものを探してください。
少し話がむずかしいか?
あのね、立派な人にならなくていいの。どうか、感じのいい人になってください。
金八さんの歴史観はさておき、この立派な人にならなくてよい、感じのいい人になってください、という言葉は名言中の名言だと個人的に思う。
今は業務効率化が図られ、いかに生産性をあげるかが企業の至上命題となっている。
その際に必ず話題に出るのが、テクノロジーとの融合、そして自動化の導入である。
これは、業務効率化の観点からも導入においては避けては通れないところであり、また効果は非常に高いと感じる。
しかしながらどこか人と人との交流が希薄になるところもあり、このあたりがなんだかあまり「楽しくない」と感じる従業員も増えているのかもしれない。
またこれは社内のみならず、一般ユーザーに対してもそうなのかもしれない。
温かい対応をするサービス提供者のかたに対して、悪い気になる人はいないだろう。
私は不動産業界にいるので、この言葉は業界内でも当てはまることがあるように感じる。
たとえば取引先と電話をしたり、案件を進めている時、もちろん双方の言い分はあるかもしれないが、やはり感じのいい対応をする人とのほうが案件は上手くいきやすい。
ユーザーに提供する不動産営業に関しても、どれだけ情報提供量や効率的に営業をしても、「感じのいい人」には敵わない。
笑顔が素敵な人、サービス精神が溢れる人は、血の通っていないプロダクトには負けないだろうも感じる。
またどの企業も「立派」を追い求めている傾向が強い。売上が立派、利益が立派、従業員規模が立派。それはそれでとても大事なことかもしれないが、もしかしたらそれと同時に感じのいい会社、を目指す会社もあっても良いのかもしれない。
立派な不動産会社にならなくて良い、感じのいい不動産会社になること。なんだか忘れてはいけないような気がする。
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